「遠近を抱えて」について

 大浦信行の「遠近を抱えて」は,コラージュの手法で制作された10点の版画シリーズだ。以下は,富山県立近代美術館問題を考える会編『富山県立近代美術館問題・全記録ー裁かれた天皇コラージュ』(桂書房)からのやや長い引用で,この作品が,「86富山の美術」に公開された当時の様子を紹介している部分である。

【… 大浦はこの作品の原型になる一連の作品をニューヨークで荒川修作のアシスタントをつとめていた時代に制作している。その後,帰国して東京銀座のギャラリー山口での個展などで展示していた。大浦は,この作品について,図録『86富山の美術』のなかで次のように語っている。

 遠近を抱えて—幻想と現実の葛藤が織りなすモンタージュされた世界は,現代社会の多様な価値を混乱させ,そこにアナーキーでニヒリスティックな世界を生み出すことだろう。それは向うの眼の世界,云ってみれば墓場の光景と僕のこ内臓の風景でもあるのだ。遠近をこの肩にヨイショと抱えあげてみるのもたまには新鮮なものだ。」

 また展覧会の会期中に開かれた公開シンポジウム(三月一五日)のパネラーに招待された大浦は,自らの作家としてのモチーフを次のように語っている。

 「僕の場合,縄文人が持っていたもっとも根源的エネルギーやまだ形になりかねないものでユング(心理学者)のいう潜在意識のような人類の遺産としての原形のイメージを現代のコトバで表現したい。そのテーマを持っているぼくはまぎれもない日本人であり,もとをただせば北陸の富山であり,どんなにしたってアジアの表現であろう。が,民族回帰ではなく,アメリカ人もヨーロッパ人にもある人類の共通の遺産として無意識的に持っているのが,原形じゃないかなと思う」(『富山新聞』八六年三月二六日)

 二回にわたって『富山新聞』に掲載されたシンポジウムでは,芸術におけるローカル,ナショナル,インタナショナルの相互の関わりがひとつの重要なテーマとして取り上げられ,参加者たち(出品者からは,大浦のほかに,堀浩哉,岩城信熹が出席し,その他,詩人で選定委員の林昭博が出席した)にとって,現代美術が欧米追随ではなく,しかもなお日本のナショナリズムにとらわれない方法への模索が必要だという問題が提起されていた。大浦がここで「縄文」というモチーフを持ち出してきているのも,ナショナルなものに回収されず同時に西欧的な普遍性とも異なるが,しかしある種の普遍的なものの可能性を探ろうとする一つの試みであると解釈できる。

 こうした展覧会当初の作品をめぐる状況からわかるように,「遠近を抱えて」はきわめて正当に作品として評価され,コラージュ作品の命でもある既存の価値観にたいしてある種の混乱を挿入するという効果を十分に発揮できた作品として少なくとも関係者たちの間では高く評価されていたとみていい。

 しかも,右に見たように,大浦は主催者からシンポジウムのパネラーとして招待されている。三〇名の招待作家のなかから初出品の大浦がパネラーとして選ばれたということは,その作品や作家の制作モチーフにたいして美術館や主催者が高い期待を抱いていたからに違いない。

 このように,作品の選定,購入,展覧会の開催とそれに関連する行事や新聞報道など,展覧会当時に関してはまったく何一つ問題といえるようなことは起きていないのである。裁判で証人となった当時の副館長,久泉迪夫は,作品選定の過程で問題が指摘されたことはなかったし,展覧会の会期中にクレームもなかったこと,会期中に行われたアンケートでも作品へのクレームはなかったと明言した。展覧会の会期中のこの静穏な状況と,誰一人として大浦の「遠近を抱えて」を特別な眼でみることのなかった状況…】

 「静穏な状況」については,「86富山の美術」の担当学芸員である島敦彦も,あいちトリエンナーレ2019の企画「表現の不自由展・その後」と「86富山の美術」との比較の中で,「会期中は特にクレームもなく、大浦作品の収蔵を検討する委員会でも了承された」として,同じ作品をめぐり,2つの展覧会における違いを述べている。

富山県立近代美術館問題を巡る声明文と要望書  島敦彦(美術評論家連盟 2019年11月23日)
https://www.aicajapan.com/ja/no20shima/
※「表現の不自由展・その後」と「86富山の美術」との比較は,最後の部分に書かれている。

 もちろん,あいちトリエンナーレ2019で『表現の不自由展・その後』展が公開されて以降の事態も同様なのだが,「状況は,その後一変する」のである。この「遠近を抱えて」は,2009年の「アトミックサンシャインの中へ in 沖縄 ─ 日本国平和憲法第九条下における戦後美術」(沖縄県立美術館)でも検閲を受け展示拒否された。これは,一体どういうことなのか。

 あるいは,「一変した」以降の現在に至る状況を,2015年の『シャルリー・エブド襲撃事件』と比較して考えてみてはどうだろうか。

 また,「日本のナショナリズムにとらわれない方法への模索」という,86年のシンポジウムでの議論は,大浦だけではなく,その場にいたパネリストに共有されたものだったと推測するが,このような考えは,今,現在どうなっているのか。

 多くの人々が,富山県立近代美術館で「遠近を抱えて」が公開された当時の「静穏な状況」を共有していないと思われるので,さらに,考えるために前提となる材料を記しておくが,いったん収蔵したこの版画を,どこの誰だかわからない人物に売り払い,かつ,この作品が掲載された図録を焼き払ったのは富山県立近代美術館であり,次いで,富山県立図書館で公開されていた同図録を破り捨てたのは,富山県在住の神職だった(天皇の肖像を巧妙に破損しなかったかは不明だが,図録を破壊したのは確かだ)。

 そして,今回,「遠近を抱えて」の中に登場する昭和天皇の肖像を黒塗りして一般公開したのは,名古屋市なのである。もっとも,王室の肖像に手を加えるのは,英国のパンクバンド「セックス・ピストルズ」の楽曲「God Save the Queen」のレコードジャケットに似て,なんともパンクで素敵だ。

「遠近を抱えて」について」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 4/9より「黒く塗れ!」展開催! | artstrike

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